探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-み-


三木杉子(みき・すぎこ)

1930年(昭5)生まれ。童話作家。

別冊幻影城掲載誌:6/9/


水芦光子(みずあし・みつこ)

1914年(大3)、石川県金沢市生まれ。「霧の会」会員。
1946年(昭21)、詩集「雪かとおもう」を発表。
1955年(昭30)、小松伸六主宰の「赤門文学」同人となる。
1964年(昭39)、「別冊宝石」に「合致」を発表。


水上呂理(みずかみ・ろり)

本名石川陸一郎。1902年(明35)、福島市生まれ。明治大学法学部卒。
森下雨村の同郷の人の紹介で、1928年(昭3)、「精神分析」を「新青年」に発表。
1989年(平1)、死去。

幻影城掲載誌:6/13/


水谷準(みずたに・じゅん)

本名納谷三千男。1904年(明37)、函館市生まれ。早稲田高等学院在学中には、地味井平造と同居していた。別名山野三五郎、水谷道男、山野十鳥。
1922年(大11)、早稲田高等学院在学中に「好敵手」が「新青年」に一等入選。
1924年(大13)、「新青年」に発表した「孤児」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第一号(1925年版)」に収録される。
1925年(大14)、「探偵趣味」の編集を担当。
1926年(大15)、「探偵趣味」に発表した「恋人を喰べる話」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第ニ号(1926年版)」に収録される。
1927年(昭2)、「お・それ・みを」を「新青年」に発表。
1927年(昭2)に「新青年」に発表した大下宇陀児妹尾韻夫角田喜久雄山本禾太郎延原謙とともに連作を行なった「楠田匡介の悪党振り」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第三号(1927年版)」に収録される。
1928年(昭3)に「新青年」に発表した「夢男」は探偵趣味の会の「創作探偵小説集 第四号(1928年版)」に収録される。
1929年(昭4)、「新青年」の編集長に就任。フランス風の洗練された編集をおこなう。
1930年(昭5)、「胡桃園の青白き番人」を「新青年」に発表。
1933年(昭8)、「さらば青春」を「新青年」に発表。
1935年(昭10)、「司馬家崩壊」を「新青年」に発表。
「新青年」の編集長だったため、戦後は公職追放されるが、のち解除。終戦時は自殺まで考えたという。
1947年(昭22)に「新青年」に発表した「カナカナ姫」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1948年版」に収録される。
1947年(昭22)に「ロック」に発表した「R夫人の横顔」で1948年(昭23)に第1回探偵作家クラブ賞短編賞候補作となる。 1948年(昭23)に「東京」に発表した「窓は敲かれず」が探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1949年版」に収録される。
1949年(昭24)に「読物街」に発表した「悪魔の夜宴」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1950年版」に収録される。
1950年(昭25)に「キング」に発表した「悲劇の触手」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1951年版」に収録される。
1951年(昭26)、「改造」に発表した「ある決闘」は、1951年(昭26)、第5回探偵作家クラブ賞を受賞。同時に1951年(昭26)に「宝石」に発表した「メフィストの誕生」が候補作となる。「ある決闘」は探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1953年(昭28)に「宝石」に発表した「まがまがしい心」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1954年版」に収録される。
1954年(昭29)に「別冊宝石」に発表した「宝島」が日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1955年版」に収録される。
1955年(昭30)、「宝石」に発表した「サムの東京見物」が1956年(昭31)、第9回日本探偵作家クラブ賞候補作となる。また、日本探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1956年版」に収録される。
1960年(昭35)に「宝石」に発表した「八番目の花嫁」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
浪漫性、ペーソスあふれたロマンティックな怪奇幻想小説を多く書いたが、のちにユーモア探偵小説へと転換をはかった。また、ルルーの「黄色い部屋」など、フランス作家の翻訳も多数。ベン・ホーガンの教則本「モダン・ゴルフ」などゴルフについての著作や翻訳も多い。
2001年(平13)、肺癌により死去。

幻影城掲載誌:12/24/48/


ミステリマガジン

1956年(昭31)7月から「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」日本語版として刊行したが、本国版との契約切れにより、1966年(昭41)1月から「ミステリ・マガジン」に改題。早川書房発行。


ミステリ・リーグ(Mystery_League_Magazine)

1933年(昭8)10月、クイーンにより創刊。シカゴのリーグ・パブリッシャー社刊行。
クイーン名義の短編やロス名義の「レーン最後の事件」、ハメットの短編などが掲載され、内容は優れていたが、普通のパルプマガジンよりも高価なこともあり、1934年(昭9)1月廃刊。全4冊。クイーンのこの経験は、1941年(昭16)の「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に生かされる。


三津木春影(みつぎ・しゅんえい)

本名三津木一実。1881年(明14)、長野県生まれ。早稲田大学英文科卒。
元々は自然主義文学を志しており、1905年(明38)、「新声」に「破船」を発表。
1905年(明38)、「破船」を「新声」に発表。
1908年(明41)、閃電子名義で押川春浪の「冒険世界」の編集に携わり、1909年(明42)、フリーマンの日本初紹介として、「青いスパンコール」を少年ものとして「科学的探偵奇談」の題で掲載する。1911年(明44)には「呉田博士」の題名で一冊にまとめられる。
1913年(大2)、ルブランの「813」を「古城の秘密」の題で訳した。
1914年(大4)、死去。


光石介太郎(みついし・かいたろう)

本名光石太郎。1910年(明43)生まれ。本名でも執筆。
1931年(昭6)、「新青年」の「新人12ヶ月の8」に光石太郎名義の「18号室の殺人」が推薦作として掲載された。
1935年(昭10)、「新青年」に発表した「霧の夜」から光石介太郎名義となる。
1935年(昭10)、「ぷろふいる」創刊2周年を記念しておこなわれた特別懸賞募集に「空間心中の顛末」が入選。
平塚白銀らとYDN(ヤングディクティブノベリスト)ペンサークルをつくったが、のち純文学に移行した。江戸川乱歩の助手を務めていたこともある。
1959年(昭34)には、青砥一二郎名義で「豊作の死」で読売短編小説賞を受賞。
1984年(昭59)、死去。

幻影城掲載誌:5/7/9/14/53/


密室(みっしつ)

密室創刊号表紙1952年(昭27)8月創刊。京都鬼クラブ発行。のちに関西鬼クラブ、SRの会発行。
1952年(昭27)2月、京都在住の「宝石」愛読者の会「京都宝石クラブ」が結成され、「京都鬼クラブ」と名称変更後、その機関誌として刊行された。発行責任者竹下敏幸。通計30号。
1961年(昭36)10月から「季刊SR」と改題し、1965年(昭40)1月、33号で廃刊。



三橋一夫(みつはし・かずお)

本名三橋敏夫。1908年(明41)、兵庫県生まれ。慶応大学経済学部卒。武道の達人で酒豪としても知られる。武道や健康法についての著作も多い。
中川与一が主宰していた「文藝世紀」の同人となり、三島由紀夫と知り合う。「三田文学」にも作品を発表。別名森九又、信濃夢作。
1937年(昭12)、「戯曲山縣大貳」を刊行。
1948年(昭23)、林房雄緒の紹介で「腹話術師」を「新青年」に発表。
1949年(昭24)、まぼろし部落シリーズ「親友トクロポント氏」を「新青年」に掲載。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に触発され、香山滋山田風太郎島田一男高木彬光、三橋一夫、武田武彦香住春作島久平白石潔が、本格派擁護のために鬼クラブを結成。
1952年(昭27)、「天国は盃の中に」で第27回直木賞候補となる。
1995年(平7)、死去。

幻影城掲載誌:4/


水上幻一郎(みなかみ・げんいちろう)

本名細合源一郎。早稲田大学卒。別名栗栖貞。戦時中は海軍報道班員として従軍するが、小栗虫太郎の「黒死館殺人事件」を携行したというエピソードを持つ。
1947年(昭22)、「ぷろふいる」に掲載した「Sの悲劇」が処女作。
1948年(昭23)、「火山観測所殺人事件」が 「ロック」の懸賞小説次点となる。

幻影城掲載誌:3/7/9/12/18/


水上勉(みなかみ・つとむ)

1919年(大8)、福井県大飯郡本郷村生まれ。口減らしのため、八歳のとき、京都の臨済宗相国寺で得度式をあげているが、17歳で還俗。
1948年(昭23)、師事していた宇野浩二の推薦により「フライパンの歌」を刊行。その後、文学から遠ざかり、31種もの職業を変える。
1958年(昭33)、多岐川恭が代表となり、河野典生樹下太郎佐野洋竹村直伸星新一結城昌治とともに探偵作家団体の「他殺クラブ」を結成。
1959年(昭34)、松本清張の出現に刺激され、初の探偵小説「霧の影」を菊村到の推薦にて刊行し、1959年(昭34)に第42回直木賞候補となる。同時に1960年(昭35)に第13回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。
1960年(昭35)、「海の牙」を刊行し、1961年(昭36)、第14回日本探偵作家クラブ賞を受賞。同時に1960年(昭35)に発表された「耳」とともに、1960年(昭35)に第43回直木賞候補となる。
1960年(昭35)に「面白倶楽部」に発表した「崖」は日本探偵作家クラブの「1961 推理小説ベスト20」に収録される。
1961年(昭36)、「別冊文芸春秋」に発表した「雁の寺」が第45回直木賞を受賞。また、この作品は「ヒッチコック・マガジン」の1961年ベストで7位に選ばれている。同時に日本文藝家協会の「文学選集 27(昭和37年版)」に収録される。
1961年(昭36)に「週刊朝日」に発表した「おえん」は日本探偵作家クラブの「1962 推理小説ベスト20」に収録される。
1962年(昭37)、「週刊朝日」に「飢餓海峡」を発表。
1962年(昭37)に「小説新潮」に発表した「赤い毒の花」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1963年版」に収録される。
1963年(昭38)に「小説新潮」に発表した「盲目」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)、「くるま椅子のうた」で、第4回婦人公論読者賞受賞。
1965年(昭40)、「城」で、第27回文芸春秋読者賞受賞。
1968年(昭43)に「別冊文藝春秋」に発表した「佐渡の埋れ火」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和44年度」に収録される。
1970年(昭45)、「宇野浩二伝」で第19回菊池寛賞受賞。
1971年(昭46)に「小説新潮」に発表した「緋の雪」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和47年度」に収録される。
1972年(昭47)に「別冊文藝春秋」に発表した「椋鳥よ」は日本文藝家協会の「現代の小説 1972年度後期代表作」に収録される。
1972年(昭47)に「小説新潮」に発表した「釈迦浜心中」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和48年度」に収録される。
1973年(昭48)、「北国の女の物語」「兵卒の鬣」で、第7回吉川英治文学賞受賞。
1974年(昭49)、「一休」で第11回谷崎潤一郎賞受賞。
1976年(昭51)に発表した「雪みち」は日本文藝家協会の「文学 1977」に収録される。
1976(昭51)に「小説新潮」に発表した「てんぐさお峯」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和52年度」に収録される。
1977年(昭52)、「寺泊」で第4回川端康成賞受賞。
1977年(昭52)に「週刊小説」に発表した「子おろし三昧」は日本文藝家協会の「現代小説'77」に収録される。
1979年(昭54)に「野性時代」に発表した「李永泰」は日本文藝家協会の「現代小説'79」に収録される。
1981年(昭56)に「小説新潮」に発表した「森」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1982」に収録される。
1984年(昭59)、「あひるの靴」で第16回斎田喬戯曲賞受賞。
1984年(昭59)、「良寛」で、第25回毎日芸術賞受賞。
1984年(昭59)に「週刊小説」に発表した「馬たちの行方」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1985」に収録される。
1985年(昭60)、第42回日本芸術院恩賜賞受賞。
1986年(昭61)に「小説新潮」に発表した「八坂三界」は日本文藝家協会の「ベスト小説ランド 1987」に収録される。
1986年(昭61)に発表した「この冬」は日本文藝家協会の「文学 1987」に収録される。
1988年(昭63)、芸術院会員。
1989年(平1)、日中文化交流協会代表団の団長として訪中し、天安門事件を体験。
1991年(平3)、東京都文化賞受賞。
1992年(平4)に「群像」に発表した「鼠捕り」は日本文藝家協会の「文学 1993」に収録される。
1993年(平5)に「別冊文藝春秋」に発表した「茄子の花」は日本文藝家協会の「現代の小説 1994」に収録される。
1993年(平5)に「小説新潮」に発表した「清富記」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成6年度」に収録される。
1994年(平6)に「小説新潮」に発表した「飛奴記」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成7年度」に収録される。
1995年(平7)に「新潮」に発表した「慧能」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 平成8年度」に収録される。
1996年(平8)に「小説新潮」に発表した「赤い自転車」は日本文藝家協会の「現代の小説 1997」に収録される。
1998年(平10)、文化功労賞受賞。
2002年(平14)、「虚竹の笛 尺八私考」で第2回親鸞賞受賞。
2004年(平16)、肺炎により、死去。
社会派推理小説の旗手として「第二の松本清張」と呼ばれたが、次第に文学に転じ、代表的な文学者となった。郷里の大飯町には私財を投じて「若州一滴文庫」「人形座劇場」を作った。

日本長編推理小説ベスト99/


南幸夫(みなみ・ゆきお)

一切不明。

幻影城掲載誌:21/


南沢十七(みなみざわ・じゅうしち)

本名川端男勇。父親を十七歳の時に亡くしたのが筆名の由来。1905年(明38)、宮城県仙台市生まれ。米田華※[#“舟”偏に“工”]名義で花柳小説を執筆している、中国学研究者の米田祐太郎は叔父。別名巳貴千尋。また、本名で翻訳や薬学に関する著作もある。木曜会所属。「科学画報」の編集長を務めていたこともある。
1928年(昭3)、 本名にて、米田祐太郎と共著で「東西媚藥研究」を刊行。
1932年(昭7)、「蛭」を「新青年」に発表。
木々高太郎に探偵小説を執筆させたのは、南沢十七と海野十三
1982年(昭57)、死去。

幻影城掲載誌:1/29/


宮田亜佐(みやた・あさ)

本名亀田好雄。1928年(昭3)、神奈川県三浦市生まれ。
1976年(昭51)、「幻影城」第一回新人賞小説部門に応募した「お精霊舟」は入選を逃したものの、改稿され、「幻影城」に掲載。
1979年(昭54)、宮田一誠名義で「ショケラ」が第25回江戸川乱歩賞候補となる。

幻影城掲載誌:15/17/21/24/30/39/54/幻影城ノベルス/


宮野村子(みやの・むらこ)

本名津野コウ。1917年(大6)、新潟県生まれ。実践女専国文科中退。霧の会会員。別名林紅子。
1938年(昭13)、紅生姜子名義で「柿の木」を木々高太郎の推薦により、「シュピオ」に発表したが、作家として活躍したのは、戦後。
1949年(昭24)に宮野叢子名義で「宝石」に発表した「鯉沼家の悲劇」が第3回探偵作家クラブ賞の候補となる。
1949年(昭24)に「宝石」に発表した宮野叢子名義の「黒い影」が、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1950年版」に収録される。
1950年(昭25)、「新青年」に掲載された木々高太郎主宰の文学派座談会「抜き打ち座談会」に参加するなど、文学派として活躍。
1951年(昭26)、「小説公園」に発表した「愛情の倫理」が1952年(昭27)に第5回探偵作家クラブ賞候補となる。また、探偵作家クラブの「探偵小説年鑑1952年版」に収録される。
1956年(昭31)、講談社の書下し長編探偵小説全集募集に「夢を追う人々」を宮野叢子名義で応募し、最終候補作となるが、鮎川哲也に敗れる。1958年(昭33)に「流浪の瞳」として発表。
1956年(昭31)、姓名判断に従い、筆名を宮野村子に改める。
1958年(昭33)に「宝石」に発表した「恐ろしき弱さ」が1959年(昭34)に第12回日本探偵作家クラブ賞の候補となる。
1990年(平2)、肺癌のため死去。

幻影城掲載誌:17/


宮原龍雄(みやはら・たつお)

本名宮原龍男。1915年(大4)、佐賀市生まれ。
1949年(昭24)、「三つの樽」が宝石百万円懸賞のC級(短編)応募作品で、三席当選し、「別冊宝石」に掲載。この作品は最初「月刊佐賀」に発表するつもりだったという。
1952年(昭27)、「宝石」の短編懸賞優秀作に「新納の棺」が入選。

幻影城掲載誌:3/7/25/


三好徹(みよし・とおる)

本名河上雄三。1931年(昭6)、東京生まれ。兄は第一実業の社長だった河上敏雄。負けず嫌いと、碁、麻雀が強いことでも知られる。他殺クラブ会員。ゴルフの会の「蟻這会」会員でシングルの腕前。
「早稲田文学」に作品を発表。
1959年(昭34)、三好漠名義で、「遠い声」が第8回文学界新人賞の次席となる。
1960年(昭35)、書き下ろし探偵小説「光と影」を刊行。
1962年(昭37)に刊行した「乾いた季節」の内容の一部が、当時未公開だった黒澤明の映画「天国と地獄」と似ているとの指摘が新聞に掲載されたが、盗作の指摘は事実無根であったため、1963年(昭38)、告訴をおこなう。
1963年(昭38)に刊行した「風は故郷に向かう」が、1964年(昭39)に第17回日本推理作家協会賞の候補となる。
1963年(昭38)に「オール読物」に発表した「ナポレオンの遺髪」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1964年版」に収録される。
1964年(昭39)に「別冊小説新潮」に発表した「存在の痕跡」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1965年版」に収録される。
1965年(昭40)に刊行した「野望の猟犬」が1966年(昭41)、第19回日本推理作家協会賞の候補となる。
1965年(昭40)に「小説現代」に発表した「緋の街」は日本推理作家協会の「推理小説ベスト24 1966年版」に収録される。
1966年(昭41)、「風塵地帯」を刊行し、1967年(昭42)、第20回日本推理作家協会賞を受賞。
1966年(昭41)に「別冊宝石」に発表した「底のない運河」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1967年版」に収録される。
1967年(昭42)に「オール讀物」に発表した「風の弾痕」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1968年版」に収録される。
1967年(昭42)に刊行した「閃光の遺産」が、1967年(昭42)に第57回直木賞候補となる。
1967年(昭42)、「別冊文芸春秋」に「聖少女」を掲載し、1968年(昭43)、第58回直木賞を受賞。
1968年(昭43)に「オール讀物」に発表した「蕩す」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1969年版」に収録される。
1969年(昭44)に「オール讀物」に発表した「天使の弔鐘」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1970年版」に収録される。
1970年(昭45)に「小説サンデー毎日」に発表した「不道徳な天使」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1971年版」に収録される。
1970年(昭45)に「小説現代」に発表した「真説平手造酒」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和46年度」に収録される。
1971年(昭46)に「問題小説」に発表した「天使の棄児」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1972年版」に収録される。
1971年(昭46)に「小説サンデー毎日」に発表した「人斬り彦斎」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和47年度」に収録される。
1972年(昭47)に「別冊小説宝石」に発表した「不確かな証人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1973年版」に収録される。
1973年(昭48)に「別冊小説宝石」に発表した「目撃者が消えた」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1974年版」に収録される。
1974年(昭49)に「小説サンデー毎日」に発表した「砂漠と花と銃弾」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1975年版」に収録される。
1977年(昭52)に「オール讀物」に発表した「迷路の街」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1978年版」に収録される。
1978年(昭53)に「別冊小説宝石秋季号」に発表した「悪の配当」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1979年版」に収録される。
1979年(昭54)、第10期日本推理作家協会理事長就任。
1979年(昭54)に「小説現代」に発表した「魔の時間」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1980年版」に収録される。
1980年(昭55)に「別冊小説宝石」に発表した「暗黒の祭り」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1981年版」に収録される。
1981年(昭56)に刊行した「コンピュータの身代金」が「週刊文春」の81年「傑作ミステリーベスト10」の7位に選ばれる。
1980年(昭55)に「中央公論」に発表した「単色の虹」は日本文藝家協会の「ザ・エンターテインメント 1981」に収録される。
1981年(昭56)に「オール讀物」に発表した「夜の印画」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1982年版」に収録される。
1983年(昭58)、「モナ・リザの身代金」が「週刊文春」の83年「傑作ミステリーベスト10」の6位に選ばれる。
1984(昭59)に「小説宝石」に発表した「八郎、仆れたり」は日本文藝家協会の「代表作時代小説 昭和60年度」に収録される。
1986年(昭61)に「小説宝石」に発表した「刑事課長の災難」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1987年版」に収録される。
1987年(昭62)に「小説宝石」に発表した「競馬必勝法の殺人」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1988年版」に収録される。
1988年(昭63)に「小説現代」に発表した「見えない復讐」は日本推理作家協会の「推理小説代表作選集 推理小説年鑑 1989年版」に収録される。
1989年(平1)に「オール讀物」に発表した「赤い半月」は日本文藝家協会の「現代の小説 1990」に収録される。

幻影城掲載誌:38/作家が語る探偵小説観/日本長編推理小説ベスト99/


ミラー,マーガレット(Margaret_Millar)

1915年(大4)、カナダのオンタリオ州キッチナー生まれ。トロント大学卒。在学中の1938年(昭13)にロス・マクドナルドと結婚。
1941年(昭16)、「見えない蛆虫」を発表。
1945年(昭20)、「鉄の門」を発表。この作品を心理探偵小説として江戸川乱歩が絶賛した。
1955年(昭30)に発表した「狙った獣」で、1956年(昭31)にはアメリカ探偵作家クラブを受賞。
1957年(昭32)、十三代目のアメリカ探偵作家クラブの会長に就任。
1962年(昭37)、「まるで天使のような」を発表。
1983年(昭58)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
1994年(平6)、死去。


ミルン,A・A(Alan_Alexandar_Milne)

1882年(明15)、イギリスのロンドン生まれ。ケンブリッジのトリニスティカレッジ在学中、「グランタ」誌を編集する。
1906年(明39)、雑誌「パンチ」のアシスタント編集者を務める。
1917年(大6)に最初の脚本を発表。
1919年(大8)、エッセイ集「Not_That_It_Maaters」を発表。
探偵小説としては、1922年(大11)に「赤い館の秘密」を刊行。
1932年(昭7)、「赤い館の秘密」が「赤屋敷殺人事件」として「探偵小説」に訳される。
「クマのプーさん」(1926年(大15))、「プー横町にたった家」(1928年(昭和3))の作家として、希代のユーモリスト。
1956年(昭31)、死去。


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